Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

登録型アルバイト体験の2

結局、収入そのものより、働く気になれば、まだまだ働けるのだという安心感が欲しくて、登録型アルバイトの派遣会社に登録したのだった。(※)
肉体労働の仕事と聞かされたニョーボは、あきれ半分心配半分みたいな顔をしていた。


まともな再就職の道を選ぶ気がうせたのは前に描いたとおりだったので、選んだのが登録型アルバイトだった。
これなら限られた求人を他人と争うという鬱陶しさから免れるし、たとえ時給が安くとも、自分の好きなときだけ働けるというのが、何よりボクの望みどおりに思えた。
(※ その後マスコミをにぎわせた悪名高い日雇い派遣大手の某社だ)
スポンサーサイト

登録型アルバイト体験の1

まだ失業保険をもらっていたこの頃は、気が大きいと言うか、ゆるんでいたから、外食したり、日帰り旅行に出かけたりと、遊んでばかりいたのだが、失業保険が切れる頃が迫って、この後は「無収入」になるのかと思うと落ち着かなくなってきた。


60歳に達して年金の一部の受給が始まるまで、あとわずかな間のことだし、その間が無収入でも家計は成り立つのだが、30数年ぶりに無収入になるのだから、やっぱり何となく不安な気分になってくる。
無収入なのに遊び歩いて・・・というのが後ろめたくもあった。

定年退職後を模索するの14

この翌月には、前にも描いたイチゴ狩りのバス旅行で、海側からの富士山を眺め、そのまた翌月には江ノ島の展望台からも富士山を眺め、そのたびに「富士山が見えた」と夫婦そろって喜んでいる。
全く典型的な東京っ子だ。


高いところに登るとすぐ富士山を探す。東海道新幹線の下りは右側に坐りたがる。というのが東京っ子の性質だ。
富士山が好きでなければ、東京育ちであっても「東京っ子」ではない、とまで言ったら言い過ぎか。

定年退職後を模索するの13

この年(2006年)は最近ではめずらしく、山中湖が全面結氷した。
おかげで氷の上に立って雪化粧の富士山を眺めるという体験ができた。


なにしろ凍った湖面の上に立つこと自体が初めての体験だから、それだけで子どもみたいに単純に喜んでしまった。
こういう面白そうな情報を得ると「それ行けっ」と出かけられるのは、リタイア生活ならではの楽しみだ。

定年退職後を模索するの12

「紅富士の湯」という温泉施設と富士山からの地下湧水をお目当てに、ドライブに出かけたときは、まるで災害で断水になった被災地の住民のようなポリタンクの行列にあきれてしまった。


富士山からの湧き水をただで汲み放題だから、ポリタンクの行列が出来るのも無理はないかもしれない。
湧き水なので景気よく出るときとそうでないときがあるらしく、この時はチョロチョロしか出ていなかった。

定年退職後を模索するの11

元もとでたがり屋(旅行好きと言うほどではないが外出好き)のニョーボはこの頃になると、日帰りや一泊で行ける行楽地の情報や、バス旅行のパンフレットをさかんに見るようになった。


ニョーボ以上にボクも外出は好きだが、自分でクルマを運転して出かけるのが一番好きだ。
ニョーボは家族か友人と一緒でなければ遊びに出かけることはまずないのだが、ボクはたまには一人で遊びに行きたいほうだ。
同じ出たがり屋でもちょっとずつ食い違っている。

定年退職後を模索するの10

ついでに話をすると、寒い季節は着物で過ごすことが多い。
退職後はその傾向が強くなった。
趣味で着ているわけではなく、単に若い頃から着ていたからで、今着ているものにしたって母親が昔縫ってくれたものと形見分けでもらったものが大半だ。
(もっとも最近は真冬は暖房費の節約のために、もっと暖かい格好でいるのだが)


ボクの勤めていた会社は普通の堅気な会社だったが、80年代から社内ではお互いに「さん」づけで呼び合うとか、服装の自由化といった点では進んでいたので、キンパの社員が社内を闊歩していても誰も咎めるものはいない。
それでもはじめた頃は他に中年男性でキンパの社員はいなかった。

定年退職後を模索するの9

そんなわけで健康面では一抹の不安を抱えてはいたものの、仕事のくびきから解放されて、初めて迎えた正月はやはり格別の気分だった。


おとそがわりにシャンパンで乾杯するのは、昔からのわが家の正月スタイルだ。
これは、まだ独身で実家にいた頃にボクが持ち込んだ習慣だ。
正月くらいはいつもと違う酒を飲みたいし、それにおとそは美味くない。

定年退職後を模索するの8

この時期はひざ以外にも、心臓がときどき苦しくなるだの、目がかすんで見えにくいだのと、あちらこちら具合が悪くなったので、毎週のように診察・検査で通院した。
結局み~んな症状が軽い代わりに、原因ははっきりしないままだった。


軽症の患者には医者は冷たい。
こっちは重大な病気の予兆ではないかと心配しているからわざわざ病院まで行くのだ。
そんな心配がなければ多少の痛みぐらいは、気分的にうっとうしいだけで我慢できないわけじゃない。
その辺のことが分かってないようだ。

定年退職後を模索するの7

それでケチがついたからではないが、そのハイキング中の帰りの下り坂で、突然左ひざが痛み出したので、大いにあわてた。
数日で痛みそのものは消えたが、これから時々ハイキングを楽しもうと考えていた矢先だったからショックだった。


それでなくとも50代に入って、からだのあちらこちらの関節や筋肉が時おり痛むのが気になっていた。
今ここで体を動かすのが不自由になったら、この先の数十年の生き方がどう変るか、大いに不安になろうというものだ。

定年退職後を模索するの6

ニョーボの友人が遊びに来たときに、亭主が家の中をうろうろしていたら邪魔なのだろうと思っていたが、実は「亭主がリストラされた」とは、体裁が悪くて友人たちには(まだその頃には)言ってないからだろうと気がついた。


新しく仕事を始めるわけでもないのに、早期退職したとあっては、主婦同士の体面上は具合悪いだろう。
ニョーボの友人のご主人たちは、まだみんな現役だったのだ。
ニョーボの体裁のことまでは考えずに退職を決めたこっちが悪い。

定年退職後を模索するの5

その頃、ニョーボは月に1回親しい友人たちを家に招いて、お茶の稽古とおしゃべりを楽しんでいた。
その日はボクに終日外出しているようにと、毎度言われるので、一人であちらこちらに出かけた。


(この日記の60コマで描いたことのある)無謀な大弛峠越えのドライブで冷や汗をかいたのは、そんな理由で出かけたときのことだ。

定年退職後を模索するの4

そんな時期に、学生時代の仲間で、大病を患ったばかりに、一流企業の管理職者から生活保護を受けるまでに境遇が変わってしまった友人と話す機会があって、ますます就職意欲を失った。


会社の希望退職に応募したときは、再就職の機会がなくとも、つつましく生活できれば良いというだけの心積もりはあった。
そうでなければ、頭を下げて恥を忍んででも会社に居座らせてもらったことだろう。

定年退職後を模索するの3

結局、再就職できるだけのスキルを身につけても、本当に仕事を必要としている人と競ってまで、仕事をしたいわけではない。
正直言って、ボクはそこまで仕事に生きがいなんて感じてない人間だ。


中高年退職者を安い時給で働かせようという会社の求人広告チラシなどをよく見るが、効率とコスト優先でキャリアのある中高年をパートタイマーや契約社員で手っ取り早く雇うよりも、もっと多勢の定職に就けない若者たちを安定雇用するべきだろう、と憤ってしまうようになった。

定年退職後を模索するの2

この職業訓練の教室で、若くて働く意欲も能力も十分あるのに仕事につけない人たちと学んでいるうちに、あとほんの少しのゼイタクとユトリが欲しいというだけで、彼らと職を争おうとしている自分に、次第にイヤ気がさしてきた。


このあたりのことは24~29コマで描いたとおりなのだが、結局真剣に取り組めばプログラミング技術をものにできたとしても、それでこの年になって若い人たちと競ってどうするんだ?という自問自答にはまってしまった。

定年退職後を模索するの1

そんな具合だから、職業訓練で某電子情報専門学校にかよっていた3ヶ月間は、肝心の学習の成果はともかく、規則正しい生活に戻って、われながらはつらつと毎日登校していたと思う。


ボクのような性格の人間は、やっぱりある程度ほかから強制されるような環境のほうが、きちんとした生活が送れるのかもしれない。
だが、そんなことではこの先何年も残っている(と思う)人生を楽しめないから、もっと自律心を持たねば。

定年退職者のひとりになったの15

仕事が忙しかったころには、半年単位、1ヶ月単位、1日単位でスケジュールを綿密に作って、1日の終わりには記録を書き込むのを習慣にしていた。
それなのに退職後数十日で、毎日の予定を管理するという点では、幼稚園児なみのレベルにまで落ちた。


仕事上の必要に迫られて自己管理していただけだったから、仕事を離れて自己管理がルーズになってしまった。
このルーズさを放っておくと急速に頭が老化していくような気がする。

定年退職者のひとりになったの14

過去のことを記憶するのは、将来その記憶が役に立つことを期待しているからであって、そうじゃないのに何でも記憶するのは、脳細胞の浪費だというボク流の合理主義精神が、今になって災いしている。


つまり今まで献立などを考える必要のなかったボクは、毎度の食事で何を食べたか記憶する必要も感じてなかった、というわけだ。

定年退職者のひとりになったの13

再就職支援の職業訓練を申し込み、それが始まる7月までしばらく緊張感のない日が続いたら、前日に自分が何をしたかも忘れるようになってしまった。
仕事を離れると、こんなにもボケてしまうものかと、急に心配になり、パソコンで毎日の時間帯別の行動記録をつけることにした。


もともと忘れっぽい性格で、メモや記録を残しておかないと大事なことでも次々と忘れていく人間だ。
仕事を離れてメモを取る習慣がなくなったら、それがますますひどくなってしまった。

定年退職者のひとりになったの12

ハローワークには4週間に1度、指定された日に失業保険給付の認定を受けに行った。
退職説明会では地域によって、認定の基準に差があって、かなり厳しいところもあると、脅かされていた。


地方によっては、定年退職者は再就職の意志がないものと決めつけて、失業認定を受けるのに苦労するらしい。
翌年に同じ職場で退職した者たちの飲み会があったが、実際にキツイことを言われながら認定をもらっているという人もいた。

定年退職者のひとりになったの11

区のスポーツセンターにさっそく体力作りの相談に行ったのは、何をするにしても人並みの体力がなければ、お話にならないからだ。
筋トレとスタミナ作りのメニューを作ってもらい、週1回ペースで1年かよった。
(けっこうサボったけど)


たとえ週に1回でも利用料400円が惜しくなったので、今は家でスクワットからストレッチング、筋トレまでを自分で作ったメニューでやっている。
65歳になったら無料で利用できるから、またかよおうかと思っているということは以前にも書いたとおりだ。

定年退職者のひとりになったの10

健康保険は、当然もとの会社の健保の任意継続(最長で2年間だ)を選んだが、一時的に保険証がない。
そんな時期に子どもが医者にかかったりした。
いったん自費払いにして、後で健保に請求するために、その医者に領収書を請求したら、「診療費計算が違ってくるのに」と、さんざんイヤミを言われてしまった。


退職説明会で言われたとおりにしたつもりだったが、どこかに行き違いがあったらしい。
たったの3日後には新しい保険証が届いていたのだから、まったくバカバカしい話だ。

定年退職者のひとりになったの9

退職前後の手続きはただでも面倒くさいのに、ボクのいた会社は何年か前に退職金の一部を確定拠出型年金(いわゆる日本版401K)にしてしまった。
そのため、たいした金額でもないのに、クソ忙しい時期に分厚い資料を渡されて運用のタイプを選択させられた。
どうせ2~3年で引き出すのだから、どのタイプを選んでも1回の飲み代ほどの違いもない。


一時はやった厚生年金基金だが、実は旧厚生省の天下りと関係者が甘い汁を吸うためだけの詐欺のような制度だったから、一流企業は次々と脱退してしまった。
その代わりに企業が進めていたのが日本版401Kというわけだ。

定年退職者のひとりになったの8

全く、政府が銀行預金の保護の上限なんかを設けたものだから、銀行口座なんて一つあれば用が済むものを、新しい口座を作る羽目になった。
おかげで銀行から「資産運用のご相談会」だの何だのと鬱陶しいお誘いが何度か来て閉口した。


愛想よく何度か挨拶してくれた営業の女性には悪いことをしたと思うけど、優遇金利の期間が過ぎたらさっさと解約してしまった。

定年退職者のひとりになったの7

大手銀行の「看板」なんか頭っから信用していないボクら夫婦は、振り込まれた退職金をすぐさま別の銀行にも分割して預けてしまった。
この時期(4月)は新規定期預金口座を作ると、定期預金預金金利優遇というのを、どこの銀行でもやっているという理由もあった。
銀行間の振り込み手数料を惜しんで、現金で移動したりすると、余計な心配をすることになるので、もうコリゴリだ。


大手都市銀の不良債権問題からの再建も進んだようだから、ここまで用心する必要もないのだが、一度不信に陥るとそうそう簡単に安心できないのが小市民らしいところだ。
それにしても、わずかばかりの退職金のために、実にせこいことをしたものだと自分でも思う。

定年退職者のひとりになったの6

個人情報保護法が施行されてなかったら、さぞもっと銀行だの保険会社だの投資会社だのから、勧誘のDMや電話が来たことだろう。
庶民の長年の労働の成果を食い物にしようという企業は、それでもあの手この手でアプローチしてくるが、いちいちかまっていられない。


今のような金利の低い時代に資産運用もへったくれもないもんだ。
銀行といっても最近は元本を保証しない金融商品が多いから気をつけなければならない。

定年退職者のひとりになったの5

庶民の「大金」だからしょせんタカが知れている。
ニョーボだけじゃなく、ボクだって、とても浮かれて旅行だの買物だのをする気にまではなれない。
どうせいつかボクを介護するときがやってくると決め込んでいる上、自分の老後だって全く安心できないニョーボは、ボクにも増して浮かれ気分どころではない。


ニョーボが思ってるのとは逆になるかもしれないから、炊事も掃除も洗濯も自分でできるようにしようと思って、主夫業見習いをやっているのは、以前書いたとおりだ。

定年退職者のひとりになったの4

さて平凡な庶民としては大金である退職金の使い道の平均的なところは、「夫婦で海外旅行」「家のリフォーム」「大画面テレビの購入」その他長年果たせなかった夢の実現といったところだろう。
が、あいにくボクはそのどれでもない。


なにしろ、そうした平均的なことをボクが提案しても「タカラクジでも当たったらね」と、ニョーボが全部却下してしまうのだ。
大画面テレビだけは、アナログTV放送が終わるまでに、今のテレビを買い換えるからそのときに・・・ということになった。

定年退職者のひとりになったの3

そんな感慨にひたっていられたのは束の間で、国民年金、住民税の納付に加えて、3月中に支払わされた任意継続の健康保険料や、会社で団体加入していた年金保険の一括前払いなどで、やっと手にした退職金が、すぐさま減っていく現実にげんなりした。


げんなりはしたが「想定内」におさまる程度のことだった。
そうは言ってもげんなりするものはする。

定年退職者のひとりになったの2

「退職してのんびり」を実感したのは、ニョーボと子どもとでお祝いにくれた旅行ギフト券を使って、2泊3日のひとりドライブで、上高地と白骨温泉に出かけたときだ。
上高地の大正池のほとりで、薄れゆく朝もやの中にたたずんで、「人生にひと区切りつけたな」と思った。


ニョーボにも一緒にと言ったのだが「一人でどうぞ」とことわられた。
貧乏性だから、この時もらった旅行ギフト券は使い切らずにまだ一部残っている。
この旅行では心からほっとして「このまま死んでも思い残すことはないな」とまで思った。

Appendix

カウンター

最近の記事

サークル

PHOTOHITOブログパーツ

"PHOTOHITO"にも参加してます

過去の記事

順番にご覧になるには平凡生活・漫画文庫からどうぞ

プロフィール

おんち・はじめ

Author:おんち・はじめ

ブログ内検索

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。