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定年退職者のひとりになったの1

はれて失業者となった最初の1ヶ月間は、国民年金の加入手続き、失業保険金の給付申請、退職金の預けかえ、ハローワークの登録と説明会、区のスポーツセンターで体力作りの相談とかなんやかんややっているうちに過ぎ去ったので、「退職してのんびり」という気分にはすぐにはならなかった。


会社の退職者説明会でもらった資料のおかげで、あっちこっちとムダに歩き回らずに済んだ。
慣れればどうってことないのかもしれないが、この種の手続きに慣れたいなんて全然思わない。
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早期定年退職者募集に応じたの10

たぶん、会社が人員リストラを進めやすくするためだったったのだと思うのだが、多くの事業所の管理職者がその半年前に異動していた。
ボクの最後の上司になった2人も新しい人だったので、思い出に残るほどの絆もできなかった。
退職前に片付けた仕事が多かったから、そんなヒマもなかったし・・・


だから別にボクが人一倍薄情なやつというわけではない。
サラリーマン時代「いま忙しい」と口にするのが大嫌いで、どんなに仕事に追われていても意地でも言わないようにしていたのだが、この頃ばかりはさすがに「忙しい」と言いたくなるほどだったのだ。

早期定年退職者募集に応じたの9

たった2年前(※)のことなのに、そのときに退職記念品を手渡してくれた事業所長と、ボクの直属上司の顔も名前も、もう今では忘れそうになっている。


幸いにもこれを書いているうちに、顔も名前もだんだん思い出してきた。
やっぱり人間の記憶は書くことで確かなものになるようだ。
(※ これを書いてから、また1年たってるので、また記憶がぼやけそうになっている)

早期定年退職者募集に応じたの8

そんなあわただしさの中で会社生活最後の1日を迎え、退職者一同が事業所内の臨時朝礼で、一人ひとり退職記念品を受け取り、別れの挨拶のマイクを握った。
お義理で聞いているだけの人たちに、長い挨拶は禁物なのだが、つい心配だったので「後任の人をよろしく」とクドクドと言ってしまった。


そんな最後の挨拶までしたのに、後任になるはずだった派遣社員の2人がさっさと辞めてしまったのは、前に書いたとおりだ。
まったく最後まで会社ではかっこよくできなかった。

早期定年退職者募集に応じたの7

退職2ヶ月前には応募者を本社に集めて、退職後の保険・年金などの手続きや制度についての説明会があった。
けっこう大切な内容もあって、こうした説明もないままに、会社をおっぽり出されたら、ずいぶん損をすることだろうと思ったりもした。


制度上は定年退職の扱いで、なおかつ(自ら応募したとは言え)会社都合での繰り上げ退職だから、失業保険の面ではかなり優遇されるという説明を受け、実際そのとおりだった。

早期定年退職者募集に応じたの6

ボクの部署では半数近くが退職を決め、当然ながら補充人員は少ない上、配置される時期だって遅い。
どうにも不足する分は、派遣社員を2人採用することになったのだが、最初に来た2人には仕事の引継ぎ中の1・2日で、次に来た2人にはボクらが退職した直後にあっさり断られてしまった。


それほど難しい仕事というわけでもないのに、あまり詳しく仕事の説明をしすぎたので、かえって怖気づいたのかもしれなかった。
有能な派遣社員の人も多いし、ボクの一番信頼していた同僚も派遣だったのに、このときの4人は「外れ」だった。

早期定年退職者募集に応じたの5

さて希望退職募集に応じると会社に告げたのはいいが、大量退職後の事業所内の人員再配置やら何やら、諸々の必要作業をボクと上司のほぼ2人だけでやる羽目になった。
(残る社員の処遇に関してのことだから、他の人に作業させられなかったのだ)
おかげで残る数ヶ月はてんやわんやの大忙しのうちに過ぎ去った。


普通に考えれば、退職後の身の振り方で頭がいっぱいになるはずのこの時期に、自分が辞めた後の会社のことをあれこれ考えろというのは、ずいぶん酷な話だ。
販売企画を担当していたボクの同僚は、「辞めた後のことにまで責任が持てない」と言って、仕事の大半を放棄してしまったくらいだ。

早期定年退職者募集に応じたの4

その後、事業所長が希望退職募集の対象者全員と個人面接をした。
言い方はどうあれ、まあ要するに「この際やめてもらいたい」と言われるわけだから、中にはプンプン怒りまくるやつがいるのも当然の話だ。


こうした話には、喜怒哀楽の面白い事情が付きまとうものだが、退職したとは言え守秘義務がある以上、詳細を語ることはできない。
ボクが応募を決心した事情も、公私ともにデリケートな部分があるから、あまり書くことができないのはお察し願いたい。

早期定年退職者募集に応じたの3

「希望退職者募集」の発表後いく日かたって、対象者(50歳以上の社員)の自宅宛に、割り増し退職金の額の個人通知が届き、翌年3月で会社を辞めるといくらもらえるのが分かった。
家のパソコンにはボクの生涯の収支計画(所得と支出の見込み)を入れてあったから、結論を下すのにあまり時間はかからなかった。


こんなことを書くと、ボクがマニアックな変わり者のように人から見られてしまうかもしれない。
(現に会社では周囲からそう見られていたようだった)
しかし、サラリーマンとは企業と契約して労働を売る一種の個人事業主なのだから、家計について経営感覚を持って臨むのは当然すぎるくらいのことだ。
趣味や道楽でサラリーマンをやってきたわけではない。

早期定年退職者募集に応じたの2

なにしろボクのいた部署にしたって、男性でいちばん若いのがボスで、男性の部下は全員50代だった。
役職定年制なので、ヒラ社員に戻った元管理職が、ボクも含めて会社中にゴロゴロいたのだ。


別にこんな話は珍しくもなんともない。
高度成長時代には大半の企業が大量採用したから、成長の鈍化とともに、従業員の平均年齢が上がっていっただけのことだ。
まさに日本経済の縮図(一般的企業の典型)だった。

早期定年退職者募集に応じたの1

90コマも描いたところで、やっと退職してからの暮らしぶりのあらましを紹介し終わったので、リタイア生活のスタートに話を戻そう。
2004年の秋のことだ。
(←)こういう話は公式発表よりも、うわさのほうが早く耳に入ってくる。


それまで自分の会社ではなかったことだからと言って、別に驚くほどのことではなかった。
これ以前から、会社は社内体制や取引体系、商品構成の改変(いわゆるリストラ)をあれこれ推し進めていたから、いつか近いうちに人員にも及ぶのは予想されていたことだった。

漫画を描くの4

あまり細かいことにこだわらなければ、最悪、紙とペンとインクさえあれば漫画は描ける。
見た人が面白いと思うかどうかに、道具の良し悪しはあまり関係がない。
これが陶芸や彫刻ではなく、漫画を生涯の道楽に選んだ理由だ。
どれだけ作品を大量に創り出しても、置き場所に困ることは、まずないだろうというのも、漫画のいいところだ。


むしろ狭いわが家では、置き場所に困らないことのほうが本音の理由というべきだろう。
ニョーボだってやりたくってしょうがない陶芸なんかに手を出したら、家中が二人で焼いた陶器だらけになってしまいそうな気がする。

漫画を描くの3

漫画を描く道具は、インクと紙とペン先を除くと、30年以上前に揃えたものが大半だ。
ペン先は会社の倉庫の不用品を処分したときに、大量の未使用品が出てきたのを、タダでもらっておいたものを使用している。


今どき、つけペンを使っている職業人といったら漫画家くらいなものではないだろうか。
その漫画家だって最近はもっと進歩した筆記具を使っているみたいだし、パソコンのドローソフトで描いたりしているのも見かける。

漫画を描くの2

いったんとりかかると1枚の漫画を仕上げるのに2~3時間はかかる。
(アイディアを考えていて居眠りしちゃうこともたまにあるが)
夜はアルコールが入ってダメだから、なるべく昼間に描くようにしている。


何か他のことをしている合間に、ちょこちょこっとできるのならいいが、あいにくボクの日常していることの中で、最もまとまった時間を必要とするのが、漫画を描くという作業だ。

漫画を描くの1

リタイアしたらもっと描く(描ける)はずだった漫画は、あいかわらず週1作ペースでしか描いていない。
自由な時間が多いからって、漫画のアイディアなんてポンポン出てくるもんじゃない。


もし若いときに脱サラして、毎日無理にでも描かなければいけないプロにでもなっていたら、きっとサラリーマンでいたほうが良かったと後悔していただろう。
しかし、脱サラして漫画家を目指さなかったことを、今でも後悔しているのも事実だ。

写真を撮るのが好きの4

陰口で呼んでいる「カメラじじばば」たちが実は羨ましい。
年寄りになっても、あんなふうにデカイ三脚とカメラを持って、四季折々にどこへでも元気に歩き回れるようになりたいと思う。


今どきの年寄りは昔の年寄りに比べると、ほんとうに元気な人が多いと思う。

写真を撮るのが好きの3

昔は景勝地や有名庭園で、写真マニアっぽい年配者たちを見かけると、「カメラ小僧」ならぬ「カメラじじい」とか「カメラじじばば」と陰で呼んでいた。
だから自分がその年代に近づいても、マニアっぽく見られないようにしている。


実は今だって「カメラじじばば」と呼んでいる(これを読んでいる中高年の写真マニアの方、ゴメンナサイ)。
彼らは花の美しい場所や景色のきれいなところには必ず出没する。

写真を撮るのが好きの2

フィルム式一眼レフを使わなくなったのは、パソコンで写真を取り扱うのに、デジカメのほうが具合が良いからだ。
30年以上も一眼レフカメラを愛用していたのに、旧型のために交換レンズを流用できなかったので、デジタル一眼レフカメラに乗り換えることができなかった。


つい最近までは、デジタル一眼レフでお手ごろ価格のものは手に持った感じが、かつて愛用したフィルム式一眼レフ(CanonF1)に比べて、おもちゃのように安っぽいのも、今ひとつ手が出せない理由だった。
(これはあくまでもボク個人の嗜好性の問題で、今のデジタル一眼レフを悪く言うつもりは毛頭ないし、最近は普及価格のものでも、おもちゃっぽい感じはだいぶなくなってきた)

写真を撮るのが好きの1

またまた話題がすぐ変わる。
昔からカメラ好きだったのだが、花や風景を好んで撮るようになったのは10数年前からだ。
自分のホームページを開いてからは、カメラを持ち歩くことがさらに多くなった。
ただし「マニア」と自称するほど凝っているわけではない。


今使っているデジカメで自分用のカメラは、大学時代から通算9台目になるが、現役なのはデジカメ2台だけだ。
それ以前から愛用していた一眼レフ(フィルム)カメラを、昨秋手放したので、デジカメ一筋になってしまった。

死に支度の5

ボクが死んだときの葬式などは簡略にと、日ごろから話しているのだが、遺言っぽく書き残してもおきたい。
もっとも、もう10年ぐらい先になれば、仲間の誰かが亡くなることで旧友が集まるのも悪くはないと、最近は少し考えが変わりはじめた。


まさか、今こんな不謹慎な会話を人のお葬式で交わしているわけではない。
これは悪い冗談だ。

死に支度の4

とりあえず数百枚のLPレコードの中味を十数枚のDVDに収めた。
体積にして1/100以下にはなったわけだ。
これでレコードとプレイヤーを処分されても、音楽だけは残る。


ボクが愛したのはレコード盤やオーディオ機器ではなく音楽なのだから、音楽を伝える媒体をボクが死んだ後に大切にするかどうかには、あまり関心がない。
きっとボクが死んだ後、残したものが処分されて、書斎の棚がガラーンとあいたとしても、ほんの一時的なことに過ぎないだろう。

死に支度の3

そんなわけで、写真や音楽のようにデジタル化できるものは、DVDにデータ保存しているのだが、これがなかなかはかどらない。
それも当然だ。
家族が遺品を処分することに痛痒を感じさせないようにするのはいいとして、ボク自身は痛痒を覚えながら作業しているのだから。


内容よりも形あるものにこだわりを持つのは、やっぱり古い世代の人間だと自分でも思う。
古い写真ともなると、それを撮影したボクの両親の想いが込められているから、いささかの感傷があってもしかたがないだろう。

死に支度の2

脳卒中かなんかで突然死んだりした後に、ボクの残したドーデもいいようなしろもの(古い写真のアルバムやLPレコードやカセットやステレオなど)の始末で家族に面倒な思いをさせたくはない。


左の会話は悪い冗談だが、子どもが社会人になれば、イヤでも物が増えて、今以上に家が狭くなるだろうから、早晩どーでもいいものは自分自身の手で処分せざるを得ないだろう。

死に支度の1

またまた話題が変わるが、家事のことばかり書いていると、模範的な見習い主夫だと誤解を与えてしまうので、たいがいにしようと思う。
最近ボチボチ手がけているのが「死に支度」だ。
別にもうすぐ死ぬ予定だの計画だのがあるわけじゃないが、いつ急に死んだって不思議ではない年齢になっているからだ。
現にボクと同時期ににこやかに笑って会社を辞めた人など、かつての仲間たちが第2の人生のスタートをした途端に亡くなったりしている。


家事もしなくてはの15

スーパーへはデイバッグをしょっていくか、マイ買物バッグ持参で行くことが多い。
エコに協力というより、レジ袋が有料だったり、レジ袋不要ならポイントがついたりと、いたって現実的な理由だ。


現役世代も週末ぐらいはなるべく奥さんと一緒に買物に出かけるべきだと思う。
主婦の経済感覚を知ることは仕事の役に立つことが多いし、なんと言っても自分の家庭の実態が理解できるというものだ。

家事もしなくてはの14

買う物を忘れないように、いつもメモ持参でスーパーに行く。
子どものおつかいみたいでカッこ悪いと思うが、男性客の多くがやっぱりメモを見ながら買い物しているので、ちょっと安心。


スーパーでお値打ち品を選んで買って、それで献立を考えられるようになれば一人前の主夫になったと言えるかもしれないが、道はまだ遥かに遠い。

家事もしなくてはの13

買物にも行くのだが、毎日の惣菜の材料を調えるのはニョーボまかせで、僕が買ってくるのは、牛乳、玉子、調味料、冷凍食品、パン、果物といったところだから、子どものおつかいレベルだ。


リタイア以前から、週末はニョーボに付き合ってスーパーへの買物に行っていたが、ただの荷物運びをやっていたにすぎない。
自分で惣菜を考えながら買物ができるようになるには、もっと料理のことが分からなければ・・・

家事もしなくてはの12

タイルの目地のカビは防げても、コーキングのシリコーンがカビで黒ずむのは防げないから、何年かおきにコーキングをし直しする。
汚れたコーキング剤を削り取って、新しいので埋めるのだ。
昔っから倹約のために Do It Yourself の精神でやってきたから、浴室のコーキングくらいは苦にならない。


(これを描いた)昨年やったばかりなので、もう5・6年先まではやらずに済むだろう。

家事もしなくてはの11

風呂は、最後に入ったものが、残り湯を抜いてよくそう掃除とタイルの水気のふき取りをすることにしたから、自分のほうが先に風呂に入りたければ、「先に入る」といちおう断るようになった。


毎回風呂を使った後にタイルの水気を拭き取っておくと、タイルの目地のカビはかなり防止できる。
風呂掃除も、入る前より入った後にするほうが、浴槽のヌメリの発生が防げる。
と、この辺のことは家事のベテランからすれば当たり前のことなのかもしれないが・・・

家事もしなくてはの10

とは言っても、洗濯はまだ分担と言えるほどになっていない。
朝、顔を洗ったときに洗面台の脇にある洗濯物カゴと洗剤を持っていって洗濯機にぶち込むという、たったそれだけのことを、いまだに毎朝のように忘れるからだ。


ニョーボは洗濯物をためるのがきらいなので、家の人数が少ない割にはしょっちゅう洗濯機を回している。

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